「ふうふ(夫婦)税理士」という生き方〜プロフィール【壱】生まれから初めてのアルバイトまで編


自宅にて〜読谷の陶芸家に造って頂いたカラカラ。
カラカラに入れてストレートで飲む泡盛が最高に美味しい。
量は程々で…

〜前回まではこちら〜

札幌市中央区〜河合珈琲にて 『ふうふ(夫婦)税理士』という生き方 2018年2月1日に沖縄県宜野湾市で独立 前職で...

「ふうふ(夫婦)税理士」という生き方〜プロフィール【壱】

1978年6月札幌市生まれ。
隣町レンガの街、江別市で高校まで過ごす。

父も母も北海道江別市でいまも元気に暮らしています。

実家隣で暮らしている祖父は大正時代の人間ですが
まだまだ元気でいまもランクルに乗って現役バリバリ
(オフロードバイクとキャンピングカーも持っている
凄い爺さんですがさすがにこちらは引退したそうです?)

こんな先輩達に負けないよう生きている、ひふみ税理士です。

祖父も、父も、叔父も、みな自営業(またはひとり法人経営)。
嫁のお義父さんも自営業。

そんな環境のお陰なのか?僕ら夫婦も自営業。
「税理士」は自然と進む道だったようです。

9歳からわたしの旅行人生は始まる

小学校3年生から6年生までの夏休みは祖母と二人で(中学からは一人で)小樽港からフェリーに乗り込み、本州方面へ一週間ほど旅に行くのが毎年の恒例行事になり、とても楽しかった記憶が。トラブルも多かったがそれも勉強に。いつだったか東京に行った際、婆ちゃんが通行人に倒され人混みに流されてしまい「なんて冷たい街なんだ」と憤った記憶が残る。

同じく短い夏休みを利用して小学校時代は(今は星野リゾートで有名な)占冠村というところで林間学校にも参加する。綺麗な川があってそこで泳ぐのが最高に楽しかった。

冬は山登り、スキーが趣味の父に連れられ道内の主要スキー場は制覇する。
今にして思えば小さな頃から自然、旅行は身近だったと思う。

そんな様子ですからクラスメイトの「昨日のTV番組見た?」なんて話には全く興味なく、僕の周りにいるのも変わった連中が多かった(笑)そして、なんとなく組織の中で動くのは合わないなぁとも感じていた中学時代。部活動も入らず、先生という職種も得意ではなかった。

16歳でアルバイト開始。とにかくリッチだった高校時代

特に何の不満もなかったが、
ただなんとなく田舎が嫌で街に出たかった。

(尾崎豊やブルーハーツの世代です。YAZAWA、浜省も聴いてました)

というわけで高校は大都市札幌(といっても札幌の最東端)
にある札幌東商業高等学校を選択する。

小学校の頃、珠算を習い段位までとっておいたお陰で高校の授業
では何もしなくても常に成績上位にいるという不思議な感覚。
全国レベルの珠算部にも誘われましたが地味だなぁ〜と思い参加せず。
(工藤先生、申し訳ございません!)

部活に入らないものですから放課後、ブラブラしていたところ家の近くの
トンデンファームという会社の社長からお誘いがありアルバイト開始。
今でも沖縄へ遊びに来てくれるなど社長とは付き合いがありますが、
この時からお金を稼ぐ面白さに目覚めました。

なんといったって稼いだ分が全て自由に使えます!
当時は高校生ですから社会保険や税金なんか天引きされません。
というかそんなもの知りません。

平日はその会社の工場で働く。ハム・ソーセージ製造業ですから
盆暮れは学校から帰ると夜中までガッチリ働きます。

休日はその会社の催事部が色々なイベントへ出店するので
そこで実演販売のアルバイト。2ヵ月連続で働いたこともあります。
働くのがもう楽しくて楽しくて!

そして一番記憶に残っているのが高校一年生のゴールデンウィーク。
(誕生日前だったのでまだ15歳)赤井川村にある関連施設、レストラン
前での実演販売のアルバイトです。

その日はわずか一日で一本250円の串焼きソーセージを2,000本!
金額にして50万円を売り上げました。
当時は食券等もなく全て小銭。その日の夜、売上金を入れた発泡
スチロール箱の重かったこと…いまでも鮮明に覚えています。

隣にある同じ会社のソフトクリーム部はやはり同じく
一本250円のソフトクリームを2,000本売り切りました!

ん?ということは、

あ、合わせて100万円もの現金がこの手元に⁉

当時15歳のひふみ少年には大金です。

待てよ?そもそもアルバイトにこんな大金を管理させて大丈夫なのだろうか?
そしてクタクタになったわたしの今日の日給が5,000円?(少なっ)

何か色々皮算用したくなります。

と同時にこれが『経営に興味を持った瞬間』の日でもありました。

〈プロフィール【弐】へ続く〉

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