「ふうふ(夫婦)税理士」という生き方〜プロフィール【弐】高校生編


環境の変化。
独立ももちろんそうでしたが、メインPCをWindowsから
Macに変えるのには勇気がいりました。
相当戸惑った独立当初も今となっては良き思い出。
お陰で少しだけITに詳しくなる。

〜前回まではこちら〜

自宅にて〜読谷の陶芸家に造って頂いたカラカラ。 カラカラに入れてストレートで飲む泡盛が最高に美味しい。 量は程々で… ...

「ふうふ(夫婦)税理士」という生き方〜プロフィール【弐】

ひとり、海外旅行にハマった高校時代

前回の最後で『経営に興味を持った瞬間』と書きましたが、
同時にまだ知らぬ外の国『海外旅行』にも興味が湧いてきました。
何せどこでも行けるお金が貯まっていましたので。

というのも高1から高2にかけて殆ど休み無く働いた結果、普段からお財布の中身がホクホクでした。高校生の分際で月に10万円超の収入、おまけに何も天引きされません。車両費、飲み代も0円。

代わりにといっては何ですが当時は信じられないくらい洋服につぎ込みました。(その反動でいまは洋服・ブランド等に全く興味なし)これはこれで良かったのかも知れないですけど。

さて海外旅行。

お金はあったものの当時はいまとは環境が異なりそう簡単には行けません。
インターネットなんてものもありませんでした。
自分でもよう調べたなぁと関心するくらい図書館、本屋の旅行関連資料を読み込み込んだものです。税理士試験より夢中になっていたかも。
中でも思い出深いのが『リコンファーム』

え、離婚ファーム?最初に聞いた時には少しドキッとしたものです。オーバーブッキング防止のため現地から帰る前に航空会社に予約の再確認をするもの。もちろん英語で。IT化が進みいまは殆ど無いですがアルファベットを書くのも危うかったわたしですがこのお陰?で必至に覚えようとしたものです。

入管のQ&Aでは「斉藤寝具店です!」なんて覚えたり。
「Sightseeing is 10 days」=観光目的十日間!

※ご存知です?観光マニュアル本に書いてました笑

わたしは今も英語が全く喋れないのですがなんとかなるもの。
高2の春休みにカンボジア、アンコールワットにも長く滞在しましたが
人間というものは「目」と「ジェスチャー」でなんとなく会話が出来ます。


アンコールワットを背景に17歳のわたし。洋服を現地で調達しどこからみてもクメール人?

いまはスマホ越しに翻訳機なんて使うでしょ?
言葉は互いに理解できたとしてもこの方法、意外と「気持ち」伝わらないんです。と、経験者は語る。

高校3年からは地元にあった琉球料理店で働く

さぁ、そんなわたしも高校3年生。

少しばかり進路を気にします。
といっても商業高校に入学した時点で大学進学という目標はなく、
どうなるのかなぁと他人事のように考えていました。

当初はニュージーランドのクライストチャーチかクイーンズタウンという街へワーキングホリデーで渡航する予定でした。(ビザ取得条件、50万円の貯金も頑張りました)

が、どうしても「沖縄」が気になり(実は高校時代1回も行ったことがなかった!ただの願望のみで動く)奇跡的、地元にあった琉球料理「一陶屋(いっとうや)」というお店で高校3年から働くことに。特に募集もしていなかったですが無理矢理、直談判して働かせて頂きました。(マスター&ママ!採用してくれてありがとう!※今はお二人とも沖縄へ移住してます♪)

そこはカウンター8席とテーブル3卓(+宴会用の2F)の小さなお店でしたが、我ながらバイト転職大正解!!実はこのような小さなお店の常連こそが中小企業の社長たちだったのです。

この社長たちがみんな格好良かった!佇まい、そして特にお金払い(笑)
スナックでないのにお釣りをチップでくれたりと出店のバイト時代にはない光景。

おまけにこちらは何も知らない小僧ですから怒られながらも色々教えてくれました。

焼き魚の向きなど和食の配膳方法、グラス、おしぼりをどこへおけばベストか?
接待で来られた時の(席順など)案内方法、お代の受け取り、返し方、などなど。

マニュアルなんて一切なく臨機応変に。この一年で適応能力がレベル20ほど上がりました。

そして閉店近く酒も進んだ頃にはマスターと常連との会話の節々に「税務署が〜、やれ税金が〜」そして「うちの税理士が〜」との会話が多いことに気付く。

一見、強面の社長達がなぜか「税理士」という人の意見には従っている様子を見て聞いて、何やら偉い職業のようやな?と思ったものです。弁護士よりも凄いみたいだけど「税理士」とはなんぞや?

一応?商業高校に通っていたので何となくは聞いたことのある職業でしたがこの一年を通して?税理士になってみたいかも。という想いがやや強くなりワーホリ(NZ)熱が少し冷める。そしてやはり高卒後は沖縄へ行こう!と決意しナゼか沖縄本島を飛び越え西表島へと旅立ちます。

なお、ここ一陶屋ママの実家が沖縄県南風原町で商売をされていたのですが、なんと顧問税理士が僕の前職場だったという超偶然!
も、当時は知るよしもない。

※本当に偶然で「この話」前職場の歓迎会で相当盛り上がりました。

〈プロフィール【参】西表島編へ続く〉

西表島での1年、大原簿記沖縄校での1年は遊び呆けてしまう。 しかし沢山遊んでわかったこと。 それは「今のわたしにとって税理士業が...