「ふうふ(夫婦)税理士」という生き方〜プロフィール【その5】「大原簿記札幌校で覚醒!税理士になれそうだ?」


琉球ガラスのグラス。愛用しています。
泡盛だけではなくお水、炭酸水を飲む時にも。
暑い沖縄。胃腸の弱いひふみ税理士は氷をあまり入れません。

また熱湯をかけてはいけません!
ヒビが入りすぐに使い物にならなくなります。

〜 前回まではこちら 〜

正直、期待値がそれほど高くはなかったApple Watch ところがどっこい、面白いじゃありませんか! アクティビティというアプリで...

「ふうふ税理士」という生き方〜プロフィール【5】

バイバイ、沖縄!→大原簿記札幌校へ転校してみた。

こんな制度があるんだ?

大原簿記那覇校で日商1級に受からず
もがき苦しんでいた若き頃。
どこで知ったか「大原の転校制度」

二十歳、沖縄本島(大原簿記那覇校)での生活はそれはそれは
大変楽しかったのですが自分でも「このままでは日商1級に
受かることもなく、税理士はまた夢の夢」と薄々感じていました。

3月。
ささやかな送別会を(今でも那覇市松山カクテルプラザにある)
リオという居酒屋でクラスメイト全員に開いていただき、
涙&涙のなか、いざ札幌へ!

誰だ?オマエ?の大原簿記札幌校の初日

そりゃそうだ。
誰も知らない転校制度。

札幌校の初日、
人生初の【転校生】として紹介される。
しかも沖縄校から。

いやーまだ覚えています。
騒がしかった教室が一瞬で静まり返り、

「誰だ?オマエ?」

の視線を感じる、感じる。
仲良くなるまで少し時間がかかったなぁ。
あぁ転校生ってこんな感じだったのね、と
今までに出会った転校生の寂しい気持ちを初めて理解する。

結局日商1級は落ちたが全経上級というのに合格→いざ税理士試験コースへ

結局、最初の日商1級の試験も不合格になってしまったが
その後に受けた全経(全国経理教育協会)上級試験に合格したため
9月からの税理士試験受験コースへ滑り込みセーフ!

なお、この時の記憶は殆どありません。
勉強するにはしてたけど、二十歳を超えて初めての札幌。
まだまだ遊んでいたような・・・。

とまぁ転校後、半年でいよいよ目的の税理士試験コースです。

クラスメイトの雰囲気もガラッと変わります。
それまで「カラオケ、パチンコ、競馬」の話題で盛り上がっていたクラスメイトから「理論」をぶつくさ暗記しているメンバーばかりのクラスへ。

商業高校から進学校へ転校した気分です。進学校、行ったことないですけど。

初年度3科目受験の苦しみは今も忘れない。

その頃の札幌校、数年前に伝説の生徒がいました。
税理士試験、2年5科目合格!です。

一年目、簿記論、財務諸表論、消費税法に合格。

二年目、法人税法、相続税法に合格。

今じゃスゲェー!の一言ですが、最初にそれを聞いたものですから
「ふーん、やれば出来るんだ」ぐらいに構えておりました。

担当の先生からも無理して全滅より、最初っから簿記論、財表の二科目が良いぞ⁉とのアドバイスを勿論無視して!やってみました三科目受験!

こんなハードなコースを選んだ猛者が9月に40名ほど、そして翌年4月には9名に激減!どこかの名門野球部のようです。

結果?
ご想像の通り、もちろん撃沈。
2年5科目合格の目標はあっけなく終了。

辛うじて簿記論のみ合格をすることが出来ましたが(計算は得意)、
財務諸表論はギリギリ合格に届かず、消費税法は「理論暗記」を苦手とし、完封負けです。いや、本試験(同日の3科目目)では右手が震え理論が全く書けなかったのでノーヒットノーランをやられた感じ。

しかし、この年はそこそこ頑張って勉強したという自負もあり、
わたしが本気になったのはこの不合格の時からなのです。(遅すぎ)

2年で3科目、おっ3年で合格も夢じゃない!

本気になったわたしはやりました。
2年目(9月から)はどうも消費税法の理論が肌に合わないと感じ、
法人税法と相続税法を選択。

で、12月の結果発表を経て、相続税法を年内コースで終えて、
再び財務諸表論と法人税法で。

勉強に割いた時間は法人80:財表(2年目なので)20という感じ。
その年の本試験では法人税法、総合問題が初の2問出題!という回。
ほぼ100%解答出来、理論も予想が当たり、見事に受かるべくして合格。
ついで財表も見事合格し、2年3科目!

予定より遅れましたが、目標を3年5科目へ修正し、
3年目は相続税法と消費税法を受験へ。

この3年目も手応え充分、12月の官報合格に自信を持ち、
試験後の9月、狙っていた札幌一大きい税理士事務所へ面接へ!

初めて税理士事務所へ就職→BIGな税理士事務所、ハンパないって!

ここ一番の面接。
何故かそれに通るひふみ税理士。

高倍率のようでしたが無事内定を頂き、10月入社です。

※翌々年の4月は200名の応募で採用はたった1名だけ。
いやー運が良かった!

札幌一大きいその税理士事務所。
スタッフ100名超。

ハンパなかったです。
BOSSが輝いていました。

当時、国税庁から発表されていた長者番付。
そこのBOSSが管轄の札幌◯税務署内ランキングに
毎年TOP10に名前が上がっているのを見て、
入るならゼッタイこの税理士事務所にしようと決めていました。
※納税額で毎年1億6,000万円超!!

とにかくビジネスマン。
一に営業、ニに営業。

当時から税務顧問よりコンサル重視。

そんなイズムを受けた幹部もまた凄かった。
30歳で年収1,000万円超え、冬賞与だけで300万円超。

こんな数値がまた発表されるのです。
時の光通信のように。

とにかく何事も新鮮に感じた3年3ヵ月。

研修も半年間ビッチリありましたので基礎も身につき(多分)
会計ソフトもTKCでしたから厳しくも勉強になります。
いま振り返ると顧問先がどう感じていたかは微妙ですが。

ただ、あまりの激務。
そしてまさか?の消費税不合格。

その後、
完全なる言い訳ですが夜間の大原簿記学校にも
毎回通えなくなり2年が過ぎた頃。

あれ、俺ってどうしても税理士になりたいのか?

その事務所は別に税理士合格しても給料が増えません。
稼いでナンボの事務所。

仕事をセーブして勉強するか、
勉強をあきらめて仕事をするか?
葛藤しました。

そしてちょっとでも稼ぎたい、
という下心が勝ってしまい、
仕事はより激しくなり勉強が何も進まない。

そしてどちらも中途半端になってきた2年目の後半。
あろうことか「沖縄病」が再発しました。それも末期。

大変お世話になった(顧問先収入が3,000万円を超える)
超ハードな部長に別れを告げる。
嬉しいことに何人にも引き止められたが決心は固い。

一回、税理士の仕事は忘れよう。

それくらい疲れていました。
本当に思考回路停止。

こんな経験をしたわたしだから言いたい。

少しのお金(給料)に欲を出して仕事を増やすな。

勉強する時間(税理士試験に限らず)を確保せよ。

考える時間を確保せよ。

別れを告げて9ヶ月後。
全ての引継ぎを終えたわたしはまた裸一貫、
2度目の沖縄移住をしたのであります。

一部完。

〈これでプロフィール編1stは終結。随分長くなりましたので2nd「2度目の沖縄移住。血迷ってスープカレー屋を始める!」編はもう暫くしてから〉

〈次回、ふうふ税理士として独立してみて感じた「苦悩・不安」へ続く〉

昔から光り物に興味があります。 大阪なんば地下街、ELECOMショップで衝動買いしたワイヤレススピーカー 旅行に出ると気...