モンゴル国
ネットは繋がります。
というかビュンビュン電波が入ります。(非常時に備えルーターはレンタルしました)
ネットはゴビ砂漠でもなんとか届くそうです。(ゴビ砂漠は来年夏にチャレンジ)
が、
20年ぶりに再会したモンゴル人の友人、
親孝行の一環?で合流した父、嫁税理士と一緒にモンゴルウォッカ(美味い!)を飲みながらゆっくりしてみました。
(夜や朝一番でメールチェックくらい。幸い緊急の連絡はなし)
人生観を変えた友人
モンゴルは首都から車を西へ走らせ4時間ちょっと、
ボルガン県モゴッドという村へむかう途中の一コマ
信号機はありませんがこんな場合は車側が止まらないといけません。
羊から牛から馬から…色々飛び出してきて。
良くも悪くもな〜んにもない一直線
120㌔近くで走らせますので脇見運転は厳禁!
そんな高速で走らせても外の景色は変わりません。
村へ辿り着く最後の1時間は舗装道路もなくなり、道なき道を進みます。
実際、道中では遊牧民の生活を見かけることが出来ました。
最近の遊牧民の方々はゲルの上に太陽光パネルを設置し、ゲル内(要はおうちの中)にはテレビも冷凍庫もあるので一般的なイメージとは異なるかと。
また少しお金のある遊牧民は車を持っていたり、移動しないゲル(これを”家”と呼ぶと思うのですが)を建てる遊牧民も。
さて、なぜウランバートル(首都)の観光地を回らずいきなりこんな地方へ向かったかといいますと今回のナビゲーター、モンゴル人の友人の故郷を訪れるため。
彼と初めてあったのは約20年前
アルバイト先のハム・ソーセージ工場にて
彼が日本語を何も話せない状況でモンゴルから日本(北海道江別市)へ研修留学で来て間もない頃
その工場の裏に彼、韓国人やミャンマー人が暮らすコンテナ寮があり、物珍しさもありわたしと友人の二人で酒を持ち込んでは勝手、部屋へ入り遊びに行っていました。
交わす言葉は?と思われるかもしれませんがそんなもの必要ありません。お酒があれば充分です(笑)
そしてまだ鮮明に覚えているのが、寮にあったテレビで”さんまの恋のから騒ぎ”を観ながら日本語を解説していたらわずか半年間で彼らがみな不自由なく日本語で会話ができるようになったこと。
これがN◯Kのラジオ英会話などであれば結果は違ったでしょう。
※”小さい””大きい”は通じなくて”ちっちぇー””でっけぇー”は分かる
※”爆弾娘”の意味が分かったりするのも面白かったw
わたしは中学校から今の今まで何時間も英語を勉強してきましたが、ろくに喋ることも出来ません。しかし彼らはバラエティ番組だけを観てわずか半年でペラペラ。
わたしは眼の前でこの変化を見届け、
”あぁ語学はお金をかけて学ぶ必要はない”
”必要な時に半年で覚えることが出来る”
と高をくくり、英語をあえて勉強しない言い訳を見つける。
何も話せない異国の地
そこで精一杯懸命に働く彼らを間近で見れたのはわたしの何よりの財産。
そんなモンゴルでも地方で育った彼
小さい頃は明日の食料さえ困難な日が続き
家族を養うため日本へ出掛ける
そこで覚えた日本語と、天性ともいえる人懐っこさを武器に現在では日本の富裕層相手に営業は一切かけず、口コミだけで日本人相手の現地観光ガイド会社を経営しています。
で、我々は?
一週間前に納車したばかりという日本製のランクル(しかも新車!)に乗らせてもらい、モンゴル草原を案内してくれる旅へと出掛けます。
もちろん、天候はご覧の通り
-ひふみ税理士の近況-
・ウランバートル市内のホテルを早朝6時に出発し約20分で空港着
・そこからミアットモンゴル航空成田行きへ乗り込み
・成田着が午後13時過ぎ(時差は日本時間△1時間)
・夜の那覇行きまでの間、成田空港内でネットチェック、食事など。第一ターミナル4階のお茶漬け屋、あぁ日本食!とほっこり。